2014年 後半

2014年、後半

6月28日(土)信号待ちで追突され、右肩負傷。半年掛けて左肩が回復してきたのに今度は右肩?がっかりです。首や背中に痛みはなく、神経がつながっている右肩に影響を受けたらしい。センマスの直前で、また練習できない日々が続く、痛むストレス、泳げないストレスは周囲にも迷惑をかけた。車は鈑金や修理ができるが、身体にはそれは効かない。
泳がなくても痛い、酒飲んでも痛い日は特に辛かった。たまには、泳いでも痛くない、酒飲まなくても痛くない日があるのは、幸せだった。何時痛くなり、何時痛くなくなるかのペースが掴めず自分の身体さえ良く判らない日々が続いた。治療に通うもあまり回復せず、リハビリと薬に頼るしかないのか?だんだん薬は効かなくなり、徐々に強い薬に変更になりました。確かに薬は効く、のみ忘れる時は痛むから、「効果はあるのだな〜」と実感。えっ、でもずーとのみ続けるのは嫌だ。何て言ったって面倒くさいから。

7月、センマス

5月の相模原での日本記録を更新したが、もう1度チャレンジ。右肩の痛みは消えないまま、それどころか更に痛みは増した。記録は51"77も切れず、52秒もかかり他のメンバーには申し訳なく感じた。個人種目の50FLYは棄権、Y君と楽しみにしていた勝負は不戦敗と言う結果で情けない。25FLYは13"38でセンマス記録にも0.03秒届かず、後半戦が不安。

JAPANマスターズ

右肩の痛みは変わらず、練習は半分以下、塗り薬、貼り薬、痛み止め等で対応するも、得意の100FLY、200IMは棄権。50FRは27"49、50FLYは29"53で確実に遅くなっている、リレーも目標記録には及ばず、練習できない環境で、試合にエントリーするのも可笑しいが、エントリーは約1か月半前なので、「あと1か月で治るだろう。」と、必ず完治する気持ちでエントリーしてしまいます。仮にエントリーすれば練習もするし、多少痛くても無理するし、「何とかなる。」と思う。今振り返ると逆効果であったのかも知れない。

油断

心のどこかに、油断もあった、特にJAPANでは、50m種目は少々遅くはなっているものの、そこそこの記録で、「多少、練習しなくても大丈夫!!」と勝手に判断、100mや200mは格段の差で遅くなる(2乗に比例)事を気付いていなかった。いや、気付く自分を理解したくなかったのですね。気分が腐ってきたことも事実、投げやりになったのもこの時期。

スポマス

初出場で、県別対抗で、点数かかっている試合、棄権できない、見事に散った、5位6位、でも妙に楽しかった、所属するマスターズのチームを超え、県別に競う、記録より順位。点数で勝負。1日目の夜、群馬県チームで打ち上げ、この瞬間があるから楽しいのだ。来年またエントリーしよう。

残り3か月、、、

2013年最後に誓った、「50歳区分の日本記録を5種目更新。」の期限がいつの間にかあと3か月。「どの種目から達成しようかな?」とか選べる自分はここになく、「この種目しかエントリ―出来ない」と気持ちは変化。しかも1か月先のレースで治っているかさえも判らず、ストレスは増した。スピード出ない練習は、無駄な時間とさえ思った。無いものを強請るより、有るものを生かそうと言い聞かせても「痛いものは痛い」のだ。


練習も試合も少しの期間休む事にした。