2010年 後半

高速水着どうなる?

 どうも納得がいかない問題。記録が良すぎてルール変更か?「どんな水着でもOKです。」ならみんなに判りやすいしこんな簡単な規定なら 何も問題ないはず、1年半しか着用できないラバー水着はどうするのだ?「着用しても良いが日本記録、世界記録は公認しない」、 「22年の5月までは着用可」など色々と惑わされた。結局、「6月以降は着用不可。」と言う判断で、これからレースに臨む。 まず6月の1週目富山マスターズ、昨年は怪我にもかかわらずNR連発しましたが、今年はそうはいかなかった、富山の郷土料理が美味しかったのと、 富山のブラックラーメンはすき焼き風に生たまごで食べるのと、カワハギのにぎりはハラワタで食うのが超旨いこと意外に記憶になし、 残念ながらリレー、メドレーはNRならず、個人では100バタでベストより3秒遅かったことは自分自身思い出したくない記録だった。

1試合で世界記録5つ突破

 野望U(新種目)の第1戦CMCマスターズは、200歳区分400MメドレーリレーでSキャプテン、O先輩、私、S会長の4人で世界 記録、160歳区分はK井さん、K保田くん、A笠くん、K子先生で世界記録の予定でしたが、当日のプログラムを見るとTSCの16 0歳区分が結構速い記録でエントリーしており急遽我々も160歳区分に集中攻撃、背泳ぎのSキャプテンとK井さんを入れ替えオーダ ー変更(つまり後だしジャンケン)、200歳区分は「次の機会に」ということで(実は次の機会がなかなか見当たらず、10月の千葉 で予定するも要綱になく結局200歳区分のメドレーリレーは今回が最初で最後。)結果160歳区分は4‘11“57の驚異的な記録 を残し、200歳区分は前日の大阪会場の5’06”を破り4’57”27でどちらもめでたく2つの世界新記録達成。(後出しジャン ケンが出来ることも作戦、またそれなりにメンバーが対応出来ることも我がチームならでは?)また、同じく400Mフリーリレーは延 べ12人で160歳区分と200歳区分にうまく振り分け「順位より記録」ってことで160歳区分は均等に2チーム結成。K保田、Y 田さん、K戸さん、K子先生がAチーム、そしてA笠くん、T沢さん、K井さん、私がBチーム、200歳区分はSキャプテン、O先輩 、I崎MGR、S会長でオーダーした結果、160歳区分は4‘17“47と4’16”64で2チームとも世界記録、200歳区分は 4‘19“69でめでたく(というより予想したとおり)世界記録突破、合計5つの新種目世界記録を突破した。レース直後、パスポー トによる本人確認、写真撮影、水着のチェック終了後、世界記録の申請、公認となる。これでチーム内には新たに7人の世界記録突破者が誕生した。 ”チームの全員が誰もが世界記録、日本記録保持者を”の第1歩。野望Uのスタートとしては上出来ですかね。(ただ、この記録が公認されたのは なんと3カ月後、それまでの間、毎日ネットで確認していました。)翌週の26日は”世界記録5つ突破“と”2009年度の野望達成祝勝会“ ”Sキャプテンの送別会“でした。チームや、団体がこんなに盛り上がるのは活発な証でしょう。ひとつの目標に向かって自然にメンバーが増え、 盛り上ってゆく。恒例の日曜日の夕方練習も当初2〜3人で始めましたが、今では10人は超え、多いときは13〜4人、練習内容によっては 2コース占領し、インターバルが間に合わない。一般のメンバーさんからも苦情が出るほど?の練習内容です。我がチーム、これまでの記録、 日本新記録4タイトル、世界記録5タイトルで合計9タイトル。まだ半年ありますが破られるか?或いは記録として残るか?はともかくとして、ペースは順調。

「早く戻ってこい」

センマス、ジャパンマスターズ

 センマス(7月)からはSキャプテンがいない、あの強烈な存在感はなんだったのだろう?何故か静かなチームになった様な気がする。で もチームとしての目標はしっかり、メンバーは皆、意識していた。“Sキャプテン移籍後も我がチームは目標を達成させる。”と。んー? でも実際問題難しい、何か?違う。高速水着を着用しても記録を塗り替えられない厳しいレースもある。あの緊張感漂う独特なリレー、 メドレーの雰囲気は今ひとつ無い。個人的にもスパッツ(6月以降の公認水着)では100IMでバタ同様約3秒落ち、高速水着以前の記 録に逆戻りした。センマスは最後のチャンスに、そして気持ち払拭のため、50Mのバタフライを高速水着でチャレンジした、記録は27 “52の自己ベスト、高速水着でも間違いなく記録は縮めていた。(水着のお陰だけではなかった。)振り返ると、「水着により水中姿勢 は改善され、浮力もついていたので”速く泳ぐこと“だけに専念できたのだ。」と思う。種目別に比較すると、高速水着の効果はバタフラ イの記録差が大きいらしいが私自身納得、最大限水着の恩恵を受けのは間違いない。7月後半のジャパン、この時期はなかなか全員揃わず、 4日間の試合に各個人が自主参加、リレー種目がないのでいまひとつ盛り上がりに欠ける。個人では100バタ1‘06”(2秒落ち)で 2位と100FR1’00“(1.5秒落ち)で5位。

野望達成記念Tシャツ

 昨年の野望達成の記念にTシャツを作ることになった、メンバー全員で36枚。野望メンバー6人からお世話になった皆さんへの御礼として。 さあデザインはどうする?絵や、文字の大きさはどうする?皆さんのサイズはどう確認する?Tシャツの表は?裏はどうする?など結構大変で した。結局、全員の意見をまとめるのも大変なことなので、日本記録、世界記録、年月、名前と、一年間我々を見守ってくれた“野望だるま” を取り入れた。それでも、Tシャツの胸と背中で160歳と200歳でわけるか?メドレーとリレーでわけるか?長水路と短水路でわけるか? 樹立月日順にするか?今、考えれば結構悩んだ。“野望だるま”の「必勝」を「M橋」に、左目をウィンクにして完成。皆さんにプレゼントし て喜んで頂くために折角だから色々考え、試合でも格好良く皆で着られる様に、表彰台でも引き立つ様に、わがままなTシャツであった。 結局3枚くらい足りなくなってしまい追加発注しました。今年もTシャツ作るとしたら、どんなTシャツにするか?今から考えておかないとなあ〜。

M市民スポーツ祭、都市対抗

 M市水泳協会の年間行事のメインイベント、なぜか忙しい約2ヶ月間。この時期に練習日数がすくなくなり、 1回あたりの練習距離も短くなる。今年は特に顕著、毎月平均30KMの練習距離は、約半分。日数の減と1回あたりの距離の減のダブルパンチ 、明らかにレースの後半が弱くなる。今年は、両大会ともスタイル1(自分の1番得意種目)以外でレースに参加(平泳ぎや背泳ぎに出場) 後半弱いのは目立たなかったようだ。都市対抗では、T市の3連覇阻止を目標に年代別に選手選抜し、30歳以上は選手強化(飲み会?) を実施した結果、年代別各監督の采配で3年ぶりM市総合優勝に輝く。

9月神奈川マスターズ、誕生日マスターズ

 4、5日これほど練習不足で参加したレースはない、上記のとおり練習不足はレース後半弱いのが、非常にわかりやすく記録に表れる、1 00Mならともかく、2日目の200Mは最初からやる気なし、1週間前から自分のモチベーションを高めるのもこんなに苦労するとは? 結局、前日までモチベーション上昇せず、夜は選手みんなで焼肉。リレー種目がないと盛り上がりに欠けるのか?宿泊先の新横浜では Jリーグ渋滞の為、駐車場もなく大変な試合でした。26日新潟、当日朝早く出発の予定が、なぜか前日、私の46歳の誕生日に出発日変更、 「パーティーは向こう(新潟)で、、、」という理由でコンビ二のビールを調達し出発、新潟では有名な?鳥の半身唐揚げ、魚、日本酒あれこれ、 試合か?グルメツアーか?誕生日か?良くわからない46歳の誕生日となった。レース結果は?マスターズ初の短水路400Mフリーに挑戦、 4‘44’30です。昨年の長水路4‘49“(ヤマホー)より遅い感じ、でも9月前半から後半にかけて、練習距離は回復したのでまずまず。 リレー種目は我々チームの記録に届かず残念賞、同じ誕生日の新メンバーAちゃんも揃っているので、帰りにはI市の”激しく泳ぐ39歳さん“ の紹介で有名なへぎ蕎麦屋さんへ、I市のチームも合流しました。ケーキ持ち込み、キャンドルの火をふっ、”happy birthday“。記念に残る私の46歳、Aちゃんの2?歳の誕生日になりました。最近の日曜夕方練習は志向を変え、第一日曜に、 ワンポイントレッスンを実施、この影響もあるのか?参加人数はさらに増えつつある。良いことだ。ここまで日本新記録4つ、世界新記録5つ、 7〜9月は変化なし、そろそろ気合入れ直そう。

200歳チームと120歳チームの8人で3つの世界新記録

混合リレー、混合メドレーにもチャレンジ(10月千葉マス)

 6月のCMCで急遽160歳区分をメインにメドレーリレーのオーダーを変更し、200歳区分は次の機会に、、、ということで「10月 16、17日のこのレースで記録を狙うぞ」と、この日に標準を絞り練習してきたが、400Mメドレー、リレー種目が、申し込み時点(8 月)で要項にない?かなりのショックでした。計画では200歳区分4X100Mメドレーリレーは4‘30“でWR、200歳区分4X1 00Mフリーリレーも4’05”でWRの予定でした。これは、突破だけではなく、世界記録として1年間残すつもりでした。今回は競技種 目にない為やむをえませんが、マスターズの大変さが良くわかりました。何を言っても始まらないので、I崎MGRの采配で混合リレー、メ ドレーを“エントリー”する事になりました。(ここでは、あくまでも「エントリー」、間違っても「狙う」という言葉はほど遠かった。)  さらに、O先輩が突然転勤との話を聞き、ショック。平泳ぎでの200歳区分メドレーリレー、そしてリレーでも主力となり活躍していただき ました。またメンバーが足りない、向かい風だ。よくないことは重なるものだ、また負のスパイラルか?前日まではなぜか?気分が乗らず、リ レーの引継ぎ練習さえせず、とうとう当日を迎える。200歳区分の混合4X100Mリレー、混合4X100Mメドレーは当然“初参加”というより 、いったい誰と組むの?目標は何秒?という感じ、まずはメドレーリレー、バタフライを泳ぐ予定のK井さん、100Mは厳しいとのことで急 遽、私がバタ。そして、フリーはS会長にオーダー変更中、ん?えっ?ん?あれ?もしかして世界記録?とIRのSちゃん。その日初めて世界 記録の申請が必要だと聞かされる、水着のシリアルNOはわかるけど、パスポートも何も持って来ないよ。世界記録を突破したら考えよう。ま ずはレースに集中しよう、男子のリレーと違い、女子との引き継ぎは慣れていないので、フライングしない様に、落ち着いて。長水路の試合も 少ないので数少ないチャンスでした。結果は、I崎MGRの采配は素晴しく、女子2名、Y子さん、I田さんとも頑張っていただき、男子はS 会長と私で200歳区分混合4X100メドレーリレー5‘44“78の世界新記録突破。しばらくは信じられない気分、まさか初メンバーで 世界記録とは?今回の認定は即時公認でした。パスポートか住民票を明日(大会2日目までに)までに提出と言うことで、Y子さん、I田さん は、M橋の家族に連絡し住民票をFAXしてもらい無事OK。(家族の皆さんは何が起こったかのかしばらくわからなかったそうだ。)S会長 と私は6月の世界記録突破時のパスポートでOK。表彰式は4人でTシャツ揃え、ガッツポーズそして手をつなぎ万歳!!S会長とY子さんは ブログのとおり夫婦での世界記録保持者となる。次は2時間後の混合4X100Mリレー、先ほどと同じ4人のメンバーで泳ぐ、1泳S会長、 2泳I田さん、3泳Y子さん、4泳が私、これはギリギリギリギリ世界記録突破。「女性2人で3’00”で引き継げば何とかします。」と言 ってしまった手前、気合は入った、もし気を抜けば世界記録は無理だったろうな。久ぶりの感動を味わった!!しかも“ギリギリ”と言うのが 何とも言えない!!だからアスリートやめられないのだ。通常メドレーリレーではバタフライのためほとんど3泳、フリーリレーはいつも1泳だから、 アンカーで世界新記録をマークするのは最高に気分が良かった。 2度目の表彰式は慣れたものだ、Tシャツ揃えてさあ行くよ。 「あっ化粧しなくちゃ。」と女性2人、えっ?「じゃあ、先に行くよ。」こんな感じも混合リレーならではの表彰式の雰囲気でした。 また、120歳区分も見事に世界記録突破、A笠くん、K保田くん、IRのSちゃん、初挑戦のAちゃん、若いチームも頑張りました。 1日に3つの世界記録樹立も我がチームの歴史に残るか?これで6月に5つ、10月に3つ、合計で世界記録が8つ、延べ32人で達成できましたが、 同じM橋で、同じプールで練習し、同じレースに出場することは意外と大変でした。病気、怪我、仕事の都合などでメンバーが足りなければ不可能です。 また、地球のどこかでいつまた我々の記録が破られてしまうかわかりません。これからも挑戦は続きます。これで我がチーム、日本新記録4回更新、 世界記録8回突破。

長水路センマス

 160歳区分男子4X100Mフリーリレーは、6月のCMCは全員で日本記録を樹立するため、A,Bチームで参加、メンバーを均等にし 、順位より記録で挑戦した。その結果は良かったのですが、今年の日本記録としては競合チームが多い中、再挑戦です。また狙っていた1 0月の千葉マスでも予想外に同種目は競技種目にはなく、どうしても、どうしてもTスイの3‘59“64が気になっていました。幸いI RのSちゃんに以前からお願いしておいた、「センマスで4継、8継をやろう」が一部叶い、4継(4x100Mリレー)を狙うチャンス が出来た。これは、狙うよ。これをマークすれば、160歳、200歳とも長水路のメドレー、リレーはすべてオセロ。あとはイーハトー ブで短水路の6タイトルをオセロできればパーフェクト。長水路大会年内最終チャンスでした。1泳K保田君、2泳が私、3泳S会長、 4泳K先生、しかし結果は、3’59”87で世界記録は突破したが、日本記録には、0.23秒及ばず???どうせなら 3‘59“64を切りたかった。世界記録と日本記録は、締め日の違いで、5月末締めの世界記録は突破したが、9月末締めの日本記録には及ばなかった。 という話です。もがき苦しんだ長水路最終レース、悔いはない、次の課題だ。来年は、160歳で3‘50”00。200歳でも4’05“00が目標だ。 リレー終了後、すぐに新幹線に乗り継ぎ三島へ、そして戸田温泉に向かい、高足蟹を食べに行った。うまかった。 翌週は、上海万博終了後の上海で、上海蟹を食べた、これもうまかった。さらに翌週は、たまたま仕事でO先輩の転勤先のH島へ行き、 全国異業種交流会へ参加。なかなか練習に打ち込めない中、O先輩と作戦会議という名の「飲み会」へ、さ、さらに翌週は今年最後の試合 ”イーハトーブ盛岡“であった。

今年4回目、イーハトーブ


盛岡 イーハトーブ1日目祝勝会