2009年 前半

野望。(闘争本能と使命感)

 今年ほど闘争本能と使命感を感じた年はなかった。あれはちょうど1年前、スポーツクラブの競泳チームの忘年会を当社のグループ店(お好み焼き店)で行っている最中、キャプテンから「フリーリレーとメドレーリレーの160歳区分、200歳区分ですべての日本記録を塗り替えよう」(以下野望)と、あの頃には信じられない言葉が出た。ここからすべてが始まった。

2009年、我々の競泳チームではリレーとメドレーリレーで160歳区分、200歳区分の日本新記録のタイトル全12のうち10タイトルを達成、更新回数17回、うち世界新記録2回、個人の日本新記録を含めると合計48回更新という、とんでもない記録と、とんでもない結果。全国から色々と問い合わせがありましたので、この我々の”とんでもないチーム”の雰囲気やメンバーの気持ちを含め、社長室から皆様へご紹介します

プロローグ

 ここでちょっと私の競泳人生を、、、私は小学生の高学年から中、高、そして大学の水泳部に所属し、インターハイ、国体、 インカレなど経験し(結果は、決勝に残るが順位はつかない程度)22歳で卒業、その後しばらく水泳から離れ、仕事以外での刺激と緊張感が無くなり、 なんとなく物足りなさを感じていた。有り難いことに、毎年夏になると県内の大会では前橋チームから声を掛けて頂き、前橋チームのために少しでも貢献できれば、、、と思い、 太った身体で競技に出場したものでした。試合前の練習も、泳ぐことも好きだったし、昔の仲間に会えるのも楽しみだった。また、アスリート魂の刺激、 レース前スタート台に立った時の緊張感は今でもたまらなく、とても気が引き締まる。こんな訳で、毎年夏だけでは物足りなくなり、5年前、 ちょうど40歳になるとき会社の近くのクラブに通い、とりあえず”健康水泳”を始めた訳です。そちらでは2年間お世話になりましたが、仕事も忙しくなり、 夜も遅くなり思うように通えなかったので、前橋で一番遅くまで営業している現在のクラブに移籍を考えていた、ちょうどその時、大学時代のO先輩(平泳ぎ日本記録保持者)が、 たまたま転勤で前橋に、、そしてO先輩の会社のS谷さん(キャプテン、背泳ぎ日本記録保持者)も同じクラブで、そして前橋市水泳協会S会長(自由形日本記録保持者)にも マスターズに誘われ、移籍を決意。
”健康水泳”ではなく”勝つための水泳”に変化したのはこの頃でした。
まあ過去の話はこの位にして、昨年の忘年会の続きを、、、、、、
野望を打ち出した2008年(平成20年)12月、私はその年を振り返ると、5度ほど日本新記録(以下NR)を塗り替えるチャンスがありました。個人ではなくチームとしての100Mリレーと200Mリレーです。
1度目、2月16日(土)の千葉国際にて200歳区分(4人の合計200歳以上)の200Mリレーで1’47”08(NR)を1’48”41で達成できず。
2度目、4月13日(日)の長野マスターズでも同じく1’48”78で達成できず。
3度目、7月5日(日)は同区分の100Mリレーで再挑戦したが0.04秒届かず。
4度目、10月12日(日)の長岡マスターズ、痛恨の1’48”78。
5度目、11月23日(日)イーハトーブ盛岡大会です。かなりへこんだ4度目から、気分を入れ替え、ラバー水着を着用し、メンバーを変更し、若さの32歳K保田君を抜擢、よりハードルの高い、160歳区分(4人の合計160歳以上)の100Mリレーで勝利の雄叫びを上げることが出来た。今までの日本記録は47”07。会場内のアナウンスで「ただいまの記録45”92は日本新記録でございます。」こんなに感動したことはなかった。初めての日本新記録を樹立した瞬間だった。過去4度の失敗が全て打ち消された瞬間でもあった。2008年のラストチャンス、5度目でようやく日本新記録、充実感に満ち溢れた。(実はその約2時間前に行われた100Mのメドレーリレーで、我がチームの他のメンバーで200歳区分の52”09の日本新記録を樹立した。この表彰式を見て今回の私達の5度目のチャレンジのNR達成を確信した、まさか45秒台に突入とは信じられなかった。)が、同時に地獄への1歩だとは予想もしなかった。それは、翌週、我々の日本新記録は岡崎市のあるチームに破られたのだ。記録は45”72で、たった0.2秒差で天国と地獄を一気に味わった。勝負の世界は非常に厳しいことを実感した。(のちにこの経験が生かされる。)
”日本記録保持者”から、わずか1週間で”元日本記録保持者”=”普通の人”になったのだ。
そこでキャプテン、I崎MGRからのメール、「破り返せばいいじゃん。」その一言で闘争本能に火がついたのは言うまでもない。2008年の忘年会はその直後であった。我々チームの野望達成は、ここが原点、原動力になっている。ちょっと長すぎた?プロローグである。

ここで野望となる12の日本記録を紹介します、、、、、

160歳区分短水路100Mメドレーリレー(キャプテン、K保田君、今井、K子先生)
160歳区分短水路100Mフリーリレー (K保田君、今井、K子先生、S会長)
160歳区分短水路200Mメドレーリレー(キャプテン、K保田君、今井、K子先生)
160歳区分短水路200Mフリーリレー (K保田君、今井、K子先生、S会長)
160歳区分長水路200Mメドレーリレー(キャプテン、K保田君、今井、K子先生)
160歳区分長水路200Mフリーリレー (K保田君、今井、K子先生、S会長)
200歳区分短水路100Mメドレーリレー(キャプテン、O先輩、今井、S会長)
200歳区分短水路100Mフリーリレー (K子先生、O先輩、キャプテン、S会長)
200歳区分短水路200Mメドレーリレー(キャプテン、O先輩、今井、S会長)
200歳区分短水路200Mフリーリレー (K子先生、O先輩、キャプテン、S会長)
200歳区分長水路200Mメドレーリレー(キャプテン、O先輩、今井、S会長)
200歳区分長水路200Mフリーリレー (K子先生、O先輩、キャプテン、S会長)
*メドレーリレーは上記の順番、フリーリレーはレース当日決定する

以上のとおり、最低でも毎月平均1つずつ突破しなければならない。
我々チームは約30名、そのうち上記の野望に選抜されたメンバーは当初たった6名。
キャプテン、O先輩、S会長、私(今井)、K子先生、K保田君
4人で12タイトル、延べ48人の内訳はキャプテンが9、S会長も9、私(今井)も9、K子先生も9、O先輩が6、K保田君が6の合計48だ。年齢と種目の組み合わせで決まった。
のちにチーム内選抜により、H田インストラクター、A笠君、K井さんが候補になりI崎MGRを中心に快進撃がスタートする。
とりあえず、一応メンバーは決まっているものの各人のコンディションによっては、すぐにメンバーチェンジが可能である、「腰が痛い、」「足がだるい」なんて発言しようものなら、すぐにメンバー交代可能、それでも日本新記録を樹立するから”とんでもないチーム”なのです。当然チーム内にはライバルが存在します。チーム内ライバルはある意味、うーん、これも”原動力”だなー。私も12個の日本新記録のうち9個を受け持ち責任と使命感に押しつぶされそうでしたが、チーム内ライバルのお陰で、乗り越えることが出来た。まして、机上の記録(理想タイム)が発表されて、30名のチームメイトに行き渡っていますから、必ずタイムを切らないと、責任重大でした。
さて、どれから手をつけてよいのか?「とりあえず、(記録を)出しやすいのから塗り替えるか?」「難しいのが残ってもなあー?」練習後の露天風呂で毎日作戦会議、他のフィットネスの会員の方には、ご迷惑掛けました。「世界新記録だ!!」「日本新記録だ!!」なんて、うるさく感じたでしょう。ゴメンナサイ。結局、2009年の一発目は、豪華に世界新記録を狙い、気分良く野望達成のスタートを切ることになった。

いきなり世界新記録 !!!!!!!!

 2月14日(土)新春マスターズ(千葉国際水泳場)
200歳区分短水路200Mメドレーリレー
野望一発目、私は第3泳者のバタフライ、これもチーム内のK子先生でも十分記録は狙える、
K子先生は当日200歳区分短水路200Mフリーリレーにもエントリーしてある為今回は私が出場。結果はなんと世界新記録。今までの1’53”82(米国.ノースキャロライナのチーム)を大幅に更新1’52”43(キャプテン、O先輩、今井、S会長)の世界新記録(WR)をマークした。昨年は4人の合計年齢198歳、今年は202歳。この時を待っていた、水着の進化も追い風、なかなかこんなチャンスはない。”もっといける”と感じた。(いきなり欲張り)すぐにパスポートを提出し正式に公認された。続いて午後200歳区分短水路200Mフリーリレーも1’43”55(キャプテン、O先輩、S会長、K子先生)で日本新記録達成。これで2つのタイトル達成。この日は個人種目でもキャプテン、S会長、O先輩はNRを樹立した。夜の祝勝会のビールは、とにかくうまかった。この日は、息子の13歳の誕生日でもあった。
(K子先生、、、彼とは高校時代から一緒、バタフライはなかなか勝てない、彼は身長も大きく、ストローク長いし、また女性にも人気あり、そしてなんと言っても練習しなくても速い。現在は水泳協会副理事長としても活躍していただいております。)

チームワーク

 会社ではよく言うんです。「チームワークだっ!。」と、、、上記のように日本記録保持者は、何人いても日本記録保持者。しかし、4人揃えば世界新記録保持者ですよ。
1+1+1+1=4以上の力が出ます。ちょうど当社も1SS4人前後の営業組織で、4人でまとまり助け合って仕事しています。(社長またか?の声が聞こえてきそうですが、、、、、)4人まとまると10にも20にもなるのです。
試合前にはS会長の奥様が朝ごはんに明太子おにぎり、味付け玉子(絶品)をいつも準備してくださり、Hつみさん、I田さんもいつでも食べられるようにとパンを準備してくださり、試合の前日はレンタカーの手配、当日はシートや毛布で陣地取り、レースが始まれば、記録係、撮影隊、応援団、リレーオーダー決定、書類提出など山の様に仕事が存在します。これらI崎MGRを中心にみんなで交代して、レースに出場しながらこなすのだ。これがまたうまくバランスがとれている。我々が競技(レース)に集中できるのは本当に皆さんのお陰です。ありがとうございます。
いつも感謝しています。
(I崎MGR、、、、我がチームの優秀MGR、練習には毎日参加、年間800KMは泳ぐ、競泳に関する情報は日本一。自由形の中、長距離の選手です。計算速いし、宿泊の手配、車の運転、DVD作成、祝勝会の幹事、お会計まで我がチームのすべてをこなす。)

3月、FIAマスターズ、そしてチーム内選抜の神奈川マスター

 3月には7日(土)8日(日)の長水路(千葉国際)と15日(日)の短水路(相模原)の2試合で、4レースを塗り替えるはずだった。
7日のFIAは160歳区分長水路200Mメドレーリレー(キャプテン、K保田君、今井、K子先生)を1’53”23で日本新記録、8日は200歳区分長水路200Mフリーリレーで1’46”48の日本新記録をマークした。チームとして野望12のうち4つ目のタイトル。この日キャプテンは腰の負傷で、個人種目は棄権し、この2本に集中、でも皆さん良くやった。
そして、翌週15日(日)は短水路の神奈川マスターズ(相模原)。この試合は私の中では最も印象深い試合でした。先月2月14日に世界新記録を樹立したのは、記憶に新しい、この後、M新聞、J新聞、Yヒューマン、Gスポーツ、クラブの雑誌、など沢山の取材に応じてきたが、実は、また、この試合で、また世界新記録を狙うとは取材陣は知らなかった。声掛ければ相模原まで取材に行かなければならないし、一度記事にしたのに、またですか?ということもあるだろう。まあいいか?
この試合は、バタフライをメンバー変更しK子先生が登場する。「遠慮せずに行け。」と言いたいところだが、もしかすると1’52”43の世界新記録はたった1ヶ月で破られ、私は元世界記録保持者=普通の人に戻るのか?と思うと不安で仕方なかった。反面「知らない海外のチームに破られるより、我々のチームに破られるのなら本望。」と割り切った。結果は、、、そうです。もしこのとき破られたらこの”社長室”は存在しなかっただろう。1’52”46です。なんと0.03秒届かず。私の複雑な気持ち、なんとも表現できないレースでした。
次は160歳区分短水路200Mフリーリレーで、切れるかどうか?の瀬戸際種目でした。こうなると最強メンバーが必要となる。新たに抜擢された、H田インストラクターとA笠君を含め、私と3人でチーム内選抜が行われた。しかも、この試合で、つまり50Mの自由形に候補となる3人全員がエントリーし1番速い記録(人)が正式メンバーとなる。レース結果は私が25”79、H田インストラクター26”31、A笠君25”82。よって、私に決定。若い選手には負けられない、貫禄の勝利だ。(言い過ぎ。)リレーの最終オーダー締め切り5分前の出来事だった。
後日聞いた話、観客席ではチーム内予選は大いに盛り上がったらしい、観戦する方はケラケラ大笑い、DVDはその声を見逃さなかった。さておき、実際選ばれたものの絶対に日本新記録を出さなくては2人の気持ちが納まらないだろう。結果は、H田インストラクター、A笠君には申し訳ないが、1’40”80の日本記録に対し、1’40”96(NR達成ならず)0.16秒に泣いた。      
この試合、個人種目ではS会長、キャプテン、O先輩、K保田君が日本新記録を樹立した。チームとしてはこれで3試合終了。12の野望のうち世界新記録を含む4つの日本新記録5回目を更新した。まずまずのペースか?
(A笠君、、、若い33歳。今回初のチーム内予選でしたが、これから先7月のもガチンコ勝負の機会が訪れます。負けないぞ!!そう簡単にNRメンバーにはなれないぞ!!私も4度失敗したからね、でも頑張って欲しい、チーム内ライバルだからね。)

新年度、新学期

 会社も決算を向かえ、忙しい毎日が続いた。グループの1社(HSS)もおかげ様で実績も好調、当時の責任者も快く代表を引き継いで頂き、新年度は順調にスタート。どんな新年度になるか? K子先生もK田君も新学期、環境に変化はあるも野望は相変わらず。
4月18日(日)千葉マスターズ、今回の狙いは、160歳区分短水路200Mメドレーリレー(キャプテン、K保田君、今井、K子先生)と、160歳区分短水路200Mフリーリレー (K保田君、A笠君、K子先生、S会長)の2レース。メドレーリレーは順当に1’48”85で日本新記録。
フリーリレーは、先月相模原で1’40”96で失敗したため、今回はA笠君を抜擢、結果は残念なことに1’41”32またNRならず、、、私とA笠君はさておき、K子先生、K保田君、S会長には負担が大きい。彼らにも個人種目があるのだ。新たなメンバーを検討する時期だ。「毎回毎回真剣に、そして悔いのない様、A笠君は来年になれば、160歳区分で出場する機会は沢山ある。あせらずやろう。」レース後、会場の外で私とA笠君は淡い潮風に当たりながら、励ましか?慰めか?良くわからない言葉を交わした。
これで、野望の5つが終了した。世界記録を含め6回目の更新になる。4月の時点で約半分、、、いいペースだ。10月には達成できるかも?甘い言葉もささやかれていた。しかし油断出来ない。他のチームだって狙っているからね。

ハプニング

 まさか?  5月地元前橋での試合、まず狙うは、200歳区分短水路100Mメドレーリレー(キャプテン、O先輩、今井、S会長)だ。この日本記録は我々チームが昨年イーハトーブで樹立した52”09だった。当時K井さんが泣いて喜んだあの記録だ。”切ったら悪い”なんて気持ちはひとかけらもなく、むしろ塗り替えてK井さんを刺激させ、もっと練習するようにとの意気込みだった。しかし、52”40またもNRならず、K井さんの喜びは凄かった。またK井さんの記録は本物だと感じた。続いて200歳区分短水路100MフリーリレーはメンバーをK子先生と遠征しないY田さんを入れ替えチャレンジ、結果は49”34またしてもNRならず。これが負のスパイラル?何がいけないのだ?調子に乗りすぎたか? 6月以降の予定を見るともうあとがない。
これからは1つも落とせない。気合の入れ直しだ。5月はとうとう1つも達成することなく終了。
今後、余裕なんてない。試合を追いかけていくしかない。最大のピンチを迎える。
(K井さん、、、お腹の出具合か?泳ぎが速いのか?通称ペンギンさん。遠征では誰にでも初対面で友達になり交流を深める。タレントでありS議院議員のM山弁護士もレース前の召集で会い、初対面でお友達。機関銃の様に話すので相手は何も話せない、練習中もずっと話しているので相手にしていると身体が冷えて寒くなる。医薬品のプロなので、具合が悪いとき頼りになる。我々のチームを全国に広める広告塔でもある。)

気合入れなおし、富山、そして怪我

 5月にへこんだ我々を救ったのはやはりキャプテン、S谷さんの存在だ。5月以降は今までの各自の練習から一転、同じ時間、同じメニューで、同じコースで練習した。なんと言っても連帯感、使命感が生まれた。練習の距離も伸びた、スピードもついた、現役大学生の練習方法も取り入れた。陸上トレーニングも行った。6月7日(日)今月唯一の富山マスターズのために、、、、、
 この試合は3月の相模原に続き2番目の思い出深い試合かな?
富山マスターズの遠征メンバーは7名のみ、一番少ない人数での遠征でした。選手の交代はおろか、リレー以外の残りの3人が撮影と記録と応援と個人のレースにも参加というハードな試合だった。前日は余裕を持って13:00前橋スタート、S会長の奥様も見送りに、キャプテンの運転で後部座席ではプシュ! あれ?もうビール? 前祝ですか?
夕方ホテルに到着し、うまい魚を食いに街へ、、、白えびや地魚は絶品、日本酒も店のスタッフに勧められるままに飲み干した。帰りはこってりラーメン。 そこから先は覚えてない。
試合当日、調子は良かった、泳ぎやすいプールだった。ところが、アップ中に右足首負傷、痛み炸裂、伸ばせないし曲げられないし、誰にも言えないし、致命的な怪我だった。狙うは160歳区分短水路100Mメドレーリレー(キャプテン、K保田君、今井、K子先生)右足首は痛いがスタートさえ我慢すれば(ターンがないから)何とかなる。痛みを考えず、とにかく泳いだ。結果、49”98の日本記録を49”52で日本新記録達成。クリアでき、ほっとした。個人種目でも25Mバタフライはどうにか出場し12”86でベスト、この状況でベストとは、かなり調子が良かったのは事実。今までのトレーニングに間違いはなかった。しかし100Mのバタフライはやむなく棄権。ここ近年初めての棄権である。痛みには敵わない。
続いて最終レースの160歳区分短水路200Mフリーリレー (K子先生、キャプテン、今井、K田君)これも3月、4月で失敗し3度目のチャレンジで、しかも年内最後のレース、NR達成しないわけにはいかない、私の調子は良いはず、キャプテンもK保田君も個人で日本記録を達成している。リレーでも日本新記録を達成できない理由が見つからない。右足首は、H原さんから馬専用の筋肉鎮痛剤でマッサージを受け、Hつみさんからは痛み止めを頂き、I崎MGRからは食べる酸素をもらい、リレーメンバーからは気合をもらい1’40”36で日本新記録を樹立した。ほんとに皆さんのお陰、7人全員で勝ち取ったNRでした。これで2009年の前半戦終了、野望12のうち7つのタイトルを達成、8回目の更新となる。まだ気は抜けない。
(キャプテン、、、背泳ぎ日本記録保持者、とても存在は大きい、チーム水着の着用チャンスもキャプテンのお陰、普通なら自分の練習で精一杯なのに、キャプテンは選手の泳ぎを観察、「こうした方がいいよ。」とフォローする。しかも的をついているから凄い。練習中も鋭い視線を感じる。話を聴いてるだけでも速くなりますよ。来年は年齢区分も変わり、個人での世界新記録を狙う素晴しいキャプテンだ。)